政治の世界には様々な駆け引きがあり、その駆け引きを巧みに操る人が権力を手にしているように見えます。
そのような駆け引きなくして、政治の世界を渡り歩くことはできないのでしょう。
しかしこの駆け引きが繰り返されるうちに、正しい基準が何であるのかが不明確になります。
特にここ数年の政治の世界を見ていると、そのことを強く感じます。
正義と公平のスローガンを掲げる政治家が、必ずしも多くの人々に支持されるとは限りません。
もっとも人間の掲げる正義は、その時代の状況によって容易に変化するものであることを考えるならば、
正義と公平というスローガンは、「今の時代にそれが正義と公平と言えますか?」と反論されてしまうのかもしれません。
しかし、聖書は語ります。「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。(イザヤ書32章17節)」と。
人間の正義は時代の状況によってその基準が変化します。人間は、変化する基準に翻弄されながらも、その基準に合わせるようにして一生懸命に生きています。
何が正義なのか。時としてその答えを見出すことができずに悩みます。そして、自ら命を絶つという悲しい結末になることもあるのです。
しかし神の正義は変わることがありません。神を知らずに生きている人間に、神は聖書をとおしてキリストという変わることのない基準を示しています。
何が正義なのかがわからずに行き詰まるとき、キリストに助けを求めて叫んでください。
キリストはすべての思い煩いや苦しみを受け止め、それらを取り去ってくださいます。そして進むべき正しい道を示してくださいます。
なぜならばキリストこそ変わることのない神だからです。このキリストを信じる時、その人の心に神の平和が訪れます。