近年、社会の中で弱さに苦しむ人たちが凶悪な事件を引き起こす事例が跡を絶ちません。その背景には何があるのでしょうか。
自分の問題は自分で解決するという自助が優先される社会では、自分で解決する手段が見つからない人にとっては、先に進むことができない苦しみの社会でもあります。
追い込まれて自暴自棄になり、犯罪へと走る前に、あるいは自ら命を絶つ前に、社会としての公助の仕組みが必要であることを痛感します。
政治家の方々には、弱さに苦しむ人たちに、まず公助の手を差し伸べていただきたいと願います。
そのような社会に生きるわたしたちに聖書は語ります。
「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」と。
人間を創造された神は、神を知らずに飼い主のいない羊のようにさまよっている一人ひとりを深く憐れみ、聖書を通して、神のところに戻って来なさいと招いておられます。
どうすれば神のもとにいけるのですか?それはわたしたち一人ひとりの苦しみや問題の根底にある罪を、すべて引き受けて、
十字架の上で償ってくださった、イエス・キリストの名を呼ぶことによってです。
先に進むことができない苦しみの中で、「キリストよ、わたしの罪を取り去ってください」と叫ぶ時、キリストという神があなたの隣に来て、助けてくださるのです。