スポーツ界での暴力のニュースが跡を絶ちません。特に学校現場でそれが顕著です。しかも、何が起こっていたのかという真相究明がなかなか進みません。
真剣勝負に勝つためには、人一倍の鍛錬と忍耐が必要ですが、その過程で一人の大切な人間に暴力が振るわれ、その人の心が深く傷つけられたならば、
その人は一生その傷を負って生きていかなければなりません。ある少年は、「日本から脱出したい」と語っていたとのことです。
なぜわたしたちの社会では、このような悲しい出来事が跡を絶たないのでしょうか。
聖書は人間とは何者であるのかという根本を語ります。その主語は人間ではなく神です。すなわち、「神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。」と語ります。人間とは神によって命の息を吹き入れられ、神に似るものとして、神の栄光を現す者として造られました。
そうであるならば、神に造られた一人ひとりの人間は、神に愛されている大切な存在です。
もしわたしたちが神の存在を知ることができるならば、大切な隣人を暴力によって服従させることが、間違いであることをも知ることができるのです。
この考え方はスポーツ界ばかりではなく、会社や地域社会の集団を含めたすべての人間社会に当てはまる考え方ではないかと思います。
わたしは神に造られた、神に愛されている存在であることを改めて覚えたいのです。