私たちの心の中には無意識のうちに自分をよく見せたい、自分の力を大きく見せたいという欲求があります。
これはすべての人が持っている欲求です。しかしこの欲求が大きくなってくると、自分の価値を必要以上に大きく見せようとして、
偽りの心が湧きあがって来ます。偽りの心が大きくなってくると、その心はどんどん大きくなって収拾がつかなくなってしまいます。
世の中にはこのような実例がたくさんあります。これは本当に恐ろしいことです。
キリストは聖書の中で「祈ること」を例にあげて、次のように教えられました。
「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、
会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
だから、あなたが祈るときには、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。(マタイによる福音書6章6節)」と。
相手と自分という相対的な見方しかできない人間が、目には見えない神の前に立たされるとき、そこには変わることのない神と、
いかようにも変わりやすい私たち人間の関係が示されます。そのとき自分の欲求に流され、世の嘘に流されながら、さまよっている私たちは、
神によって自分の正しい立ち位置を教えていただくことができるのです。