今から20年以上前の西暦2000年ころの日本は、経済大国と言われていました。
一人当たりのGDP(国民一人が生み出すお金としての価値)は世界のトップを争っていました。
そして一流の学校に入り、一流の会社に入ることが、将来を約束する鍵になっていました。
しかし今、日本の経済的な地位は、先進国のレベルから大きく後退しています。
それなのに相変わらずいい学校に入り、一流の会社に入ることがもてはやされているようです。
経済がますます縮小する中で、生き残るためには、人よりも豊かにならなければならないとの思いが強くなっているからなのでしょうか。
しかしイエス・キリストは一つのたとえを語られました。豊作が続いたために、金持ちは倉に
納めきれない穀物を収穫しました。そしてもっと大きな倉を建ててそこに穀物を納め、しばらく
飲み食いしてゆっくり過ごそうと思いました。悠々自適の生活です。しかし神は言いました。
「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものに
なるのか」と。あり余るものを所有していても、一流の会社に勤めていても、命を失ったならば、
その所有物やそのステータスはだれのものになるのか?との神からの問いかけです。豊かな人も
貧しい人も、その命はその人を造られた神が支配しているのです。
一生懸命勉強していい学校に入り、一流の会社に入ることは勿論大きな目標ですが、そんなあなたの存在のすべてを支配しておられる神がおられることにまず目を留めてください。その神は
あなたが貧しくても、豊かでも、あなたを愛しあなたの命を守り、あなたの将来を見守っておられるのです。そのような神がいつもあなたのそばにおられることを知ってください。