仕事をする上で、必ず同僚がいて、上司がいて、部下がいます。私たちは仕事をする上で上司の評価が気になり、ともすると上司を見ることが多くなるかもしれません。逆に上司から部下を見る時、部下の能力によって組織のアウトプットも変わってきます。無意識のうちに仕事のできる部下に、やりがいのある仕事が振り分けられるようになるでしょう。
しかしここには二つの問題があります。一つは仕事のできる部下に仕事が集中しすぎて、破綻してしまうという問題です。もう一つは仕事のできない部下がやる気をなくしてしまうという問題です。もし仕事のできない部下が、別の組織の仕事を任された場合には、新たな適性が見いだされるかもしれません。このように上司には、多方面の角度から部下を観察することが求められます。しかし現実には、難しい要求かもしれません。
ここで聖書は語ります。神様は一人ひとりの人間を大切な器として造られたと。神様は上司も部下も一人の大切な人間として造られました。このことを信じる時、とかく殺伐となりがちな職場に、一筋の光が差し込むのではないでしょうか。人間を造ってくださった神様がおられることを信じて仕事をする時、神様はその仕事と職場を見守り祝福してくださいます。