働くことに対する対価として報酬が支払われます。1980年代のバブル崩壊前のサラリーマンの平均年収は600万円くらいだったと記憶しています。この年収は年々下がり続け現在は400万円くらいになっていると言われています。日本は今でもGDPでは世界第3位に位置しています。しかし普段の生活を顧みる時、世界第3位の感覚からは大きくかけ離れているように感じます。それもそのはずです。GDPを人口で割った一人当たりのGDPは、世界で30位近くまで落ちているからです。2000年には2位だったことを考えると大きく落ち込んでいることがわかります。
一方で仕事の忙しさばかりではなく、社会全体の忙しいという感覚は、昔も今も変わっていないように思います。海外で仕事をした後日本に帰って来ると、社会全体が忙しく動いているように感じるのはなぜでしょうか。欧米諸国だけではなく、アジア諸国に比べても日本の社会の忙しい感覚は特異的です。日本の社会にいるとわかりませんが、海外諸国と比較すると歴然とした差があることを感じます。それにもかかわらず一人当たりのGDPが減り続けている現実を見る時、ますます日本社会の忙しい感覚は、どこから来ているのだろうかと不思議に思わざるを得ません。
聖書の中で主イエス・キリストは言われました。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと思い悩むな。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか」と。
人間や鳥を創造された神が、鳥を大切に養ってくださるとするならば、鳥よりも遥かに価値の高い存在として創造された人間を神はこよなく愛し、大切に養ってくださることは言うまでもありません。この神の存在を知り、この神に忙しさをゆだねる時、忙しい感覚が少しは和らぐのではないだろうかと思うのであります。