聖書にはイスラエルの国が登場します。その昔イスラエルはユダ王国と呼ばれていました。
最初彼らは神様を信じている人々でした。しかし時間がたつうちに自分たちの心の思いを像として造り、
その像を拝むようになりました。たとえば自分たちの仕事が成功するように願って、
自分たちの思いをよく仕事ができる人の像として造り上げ拝むようになったのです。
彼らが信じていた神様はどこに行ってしまったのでしょうか。
神様はエレミヤという預言者を立てて、自分たちの造った像を拝むのではなく、
ただお一人の聖書の神様を礼拝するように語りかけました。
しかしユダの人々の心は自分たちの造った像から離れることができませんでした。
これは今から2500年も前のユダ王国でのお話です。
しかし21世紀を生きている私たちの日本でも同じことが起こっています。私たちは自分の願いをお守りにしたり、
神社に祭られている像に託したりしています。そしてその像が私たちの願いをかなえてくれることを期待するのです。
このような私たち日本人にも神様は聖書をとおして語りかけています。
人間が造った像を拝むのではなく、人間を創造されたただお一人の神様を礼拝する。聖書はこのことを語り続けています。
人間が造った像という有限なものではなく、人間を造られた全能の神様を信じて礼拝してください。日曜学校でこの神様を一緒に礼拝しましょう。