今から2000年前、今のイスラエルの地方を一人の役人が旅をしていました。彼はエチオピアの女王に仕える役人でした。
彼は馬車に乗りながら聖書を読んでいました。そこには次のように書かれていました。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。」と。
役人はこの聖書の言葉の意味が分かりませんでした。その時、神様はフィリポという聖書の言葉を説明する人を役人の乗っている馬車へと遣わしました。
フィリポは役人の馬車に乗り込むと、この聖書の意味を説き明かしたのです。黙している小羊とはイエス様のことです。
イエス様は黙している小羊のように、何も言わずに十字架につけられて死にました。
それはわたしたちすべての人間が神様に背を向けて歩いているという罪を背負うためでした。
わたしたちには生まれながらに、人を憎んだり、人をいじめたり、自分がだれよりも偉いという気持ちがあります。
でもこの気持ちを人にぶつけると、相手の人は大変悲しみます。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
それはわたしたちが生まれながらにもっている罪が原因です。
しかしイエス様はわたしたち一人ひとりの罪を何も言わずに引き受け、十字架の上で死んでくださることによって償ってくださいました。
役人はフィリポのこのような説明を聞いて、イエス様を信じました。洗礼を受け罪が赦された役人は喜びながら、故郷のエチオピアへと旅を続けたのでした。