わたしはどこから来たのでしょうか。わたしはお母さんから生まれました。ではお母さんはどこから来たのでしょうか。
お母さんのお母さんから生まれました。このようにたどっていったとしても切りがありません。
自分の先祖をたどっていっても結局よく分からないという答えにたどりつきます。
しかし、聖書は人間のルーツを語ります。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」と。
神にかたどって創造されたとは、神に似た者として創造されたということです。
神に似ているとは、神を知っているということです。神に話しかけることができるということです。
しかし生まれながらのわたしたちは、神のことを知りません。だから目に見えない神に話しかけることができません。
でも普段の生活の中で寂しいときや悲しいとき、何かにすがろうとします。
人間が造った目に見える像や人間が答えてくれる占いにすがろうとします。
しかし人間が造った像は、決してわたしに話しかけてくれません。人間が答えてくれる占いにしても、当たらなかったときにはそこで終わってしまいます。
でも聖書が語る神は、わたしが聖書を読むとき、その聖書の言葉によってわたしに話しかけてくれるのです。
寂しいときや悲しいとき、聖書を開いてその言葉を読むならば、必ずわたしの心に神が話しかけてくれるのです。
こうしてわたしは神を知り、神に話しかけることができるようになります。どんなときにも聖書を開いて神と会話してください。
必ず心に静かな平和が訪れます。