この一年で三度の緊急事態宣言が発出されました。感染者が増加し医療現場が逼迫することにより緊急事態宣言が発出される。
感染者数が減少傾向になると宣言が解除される。しかしいつの間にかまた感染者数が増加し医療現場が逼迫する。
そして宣言が発出される。同じことが繰り返されながら一年以上が経過したような気がします。
その理由は宣言を発出するにしても、解除するにしても基準があいまいだからだと思います。
みんなが「そうだ」と言えばそれが新しい基準になってしまうという危うさを感じるのはわたしだけでしょうか。
しかし聖書は神の言葉という変わることのない基準を語り続けています。イザヤという預言者は神の言葉を預かり、次のように語りました。
「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と。草花は美しく装いますが、やがて枯れてなくなります。
しかし神の言葉は永遠に語り継がれるという意味です。
それでは神は、わたしたちに何を語り継いでいてくださるのでしょうか。
それはキリストという神の子が十字架につけられ死んだこと、しかし三日目に死者の中から復活し、
神と共に生きるという新しい命をわたしのために獲得してくださった、ということです。
このキリストを信じるならば、人生の荒波の中でどんなに横道にそれたとしても、神の力によってキリストのもとへと連れ戻していただけるのです。
キリストという変わることのない神の基準に立って生きるのです。
基準があいまいな日本という社会の中で、キリストという基準を見つめて、確かなそして平和な日々をお過ごしいただきたいと願っています。