新約聖書の中に仲間を赦さない家来のたとえが記されています。ある王様が家来たちに貸したお金の決済をしようとしました。
決済を始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王様の前に連れて来られました。一万タラントンとは、今のお金で六千日分の賃金の一万倍という途方もない金額です。
一生かかっても返済することのできない借金でした。家来は王様の前にひれ伏して「全部お返ししますから」としきりに願いました。
王様は家来を憐れに思い、その借金を帳消しにしたのです。ところがその家来は外に出て行き、百日分の賃金に相当するお金を貸している仲間に出会い、借金を返済するように迫りました。
「どうか待ってくれ。返すから」としきりに願う仲間を赦さず、借金を返すまで牢に閉じ込めた、というたとえです。このたとえを語られたのはキリストです。
わたしたちは毎日の生活の中で無意識のうちに言葉や態度でたくさんの隣人を傷つけています。その時は気づかなくても、後になって思い返してみると、
これでもかというほどたくさんの実例を思い出すことがきます。もはや返済することのできない借金として心の中に積み上がっているのです。
しかしわたしの心をすべてご存じであるキリストという神は、すべての借金を帳消しにしてくださるお方です。そのキリストに「わたしの負債を帳消しにしてください」と祈る時、
わたしたちは隣人を赦す者へと変えられるのです。