わたしたちの周りには国と国との争いが絶えません。大きな国が小さな国に軍事的、経済的圧力をかける。それを阻止しようとして別の大国がその争いに介入する。
現代に生きるわたしたちは、このような微妙なパワーバランスの中で不安を抱きながら生きています。しかしこのような不安は国と国との争いよりももっと身近なところに存在しています。
それは隣人との間の微妙な争いです。
この構図もまた国と国との争いに似ています。それは力の強い者が弱い者に対して力や言葉の暴力を浴びせるという構図です。いじめや虐待やパワハラはすべてこの構図の中で起こっている陰湿な出来事です。
なぜわたしたちの生きている社会はこのような構図へと傾いてしまうのでしょうか。
聖書は生まれながらの人間は全ての人が悪に傾いている、と語ります。善いことをしようとしても、し続けることができず、悪へと傾いてしまう。聖書はこのような人間の傾向を罪と呼んでいます。
もしこの罪が取り除かれるならば、わたしたちは善いことをする方向へと傾くことができるのです。どうしたらできるようになるのでしょうか。
それはわたしたちの罪のために十字架につけられ、身代わりの死を遂げることによって、その罪を償なわれたキリストを信じることです。
「主イエス・キリストよ、わたしの罪を取り去ってください」と祈ることです。わたしの力とは関係がありません。
キリストという神がわたしたちの祈りに応えて、罪を取り去ってくださるとき、わたしたちは、平和を実現する人へと変えられるのです。