キリスト教会には必ず十字架が掲げられています。しかし十字架は罪を犯した犯罪人が罪の刑罰として死刑に処せられる道具です。なぜキリスト教会はこの十字架を掲げているのでしょうか。
それはキリストという神が人間の姿をまとって死んでくださったことを想い起すためです。ではなぜ神がこのような死を遂げられたのでしょうか。
キリストという神はだれの罪のためにこのような死を遂げられたのでしょうか。それはわたしたち一人ひとりの人間の罪のためです。でも多くの人は言うでしょう。
わたしは何も悪いことをしていません。犯罪人として刑罰を受けるような人間ではありませんと。
しかし聖書が語っている人間の罪とは心の奥底にある人には隠しておきたい罪をも含みます。目には見えないかもしれませんが、心の中で仲間を罵倒したり、恨んだり、ねたんだり、腹を立てたり、
数え上げれば切りがないほどたくさんの醜い思いが心にわき出してきます。そしてそれが仲間に対する力や言葉の暴力となって現れてくるのです。
抑えようとしても決して抑えることのできない醜い思いです。このような人間の思いや行動を聖書は罪と呼んでします。
しかしキリストという神はわたしたちの心にわきだす、すべての罪を引き受けてくださいました。すべての人々の罪を背負って犯罪人となり、わたしたちの身代わりとして死んでくださったのです。
わたしの罪のために死んでくださったキリストを信じます、と告白する人には罪の赦しが与えられ、醜い罪という心の重荷を降ろすことができるのです。
十字架を仰ぐことによって、十字架につけられたキリストに助けを求めて叫ぶとき、わたしたちの心は本当に軽くされるのです。十字架が掲げられている教会に来て、心の重荷を降ろしてください。