教会の建物の上には必ず十字架が立っています。どうしてでしょうか。それはイエス様という神様が十字架につけられて死んだことに関係しています。
でもどうして犯罪人がつけられて死ぬという死刑の手段である十字架を、教会は掲げているのでしょうか。
それはイエス様がわたしたち一人ひとりの心の中にある罪をただおひとりで背負ってくださり、その罪を償ってくださったことを、教会が信じているからです。
でも罪とは何ですか?と質問されるかもしれません。わたしは何も悪いことはしていません、と言うかもしれません。
でもわたしの心の中をよく見てみると、毎日のように友だちを恨んだり、自分が一番偉いと思ったり、弱い人を自分の下に置いたりと、
いろいろないやな思いや行動を取っていることに気づきます。でもこのようないやな思いや、いやな行動は毎日のようにわたしの中からわきだしてくるのです。
自分ではどうしようもありません。そして心が暗くなってしまうのです。イエス様という神様は、このようなわたしたちの罪を全部背負って十字架で死ぬことにより、償ってくださったのです。
教会の上に立っている十字架には、このような意味があります。イエス様、わたしの罪を背負ってください。そしてイエス様の十字架によって赦してください、そのように願うならば、心の中にある罪が取り去られるのです。
そして心が軽くなるのです。