最近のニュースを見ていると、倫理という秩序が著しく乱れていることを痛感します。特に男と女の関係の乱れから起こる事件が多いような気がします。
出会った相手との関係を継続することが困難になると別の相手を探す。SNSの普及している現代は、実際に合わなくても相手を見つけることができます。
簡単に相手を見つけることができるがゆえに、実際に会って相手を深く知る前に、別の相手と出会い、再び新しい交際が始まる。
今の時代は、男と女の関係が大変浅くなっているのではないでしょうか。
そのようなわたしたちに聖書は、神が、男を助けるために女を造られたと語ります。そして男は造られた女に対して次のように叫ぶのです。
「人は言った。『ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女と呼ぼう、まさに、男から取られたものだから。』
こういうわけで、男は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。」と。男は自らのあばら骨によって神が造られた女に対して、
「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と喜びの叫び声を上げたのです。
人間は男であっても女であっても、神が一体としてくださる相手に出会ったときにだけ、この叫び声を上げるように造られているのです。
どこまでもその相手と一体になるように造られている存在なのです。
男と女の秩序ある関係が乱れている今という時代だからこそ、男と女を造られた神の言葉に聴くことが必要ではないでしょうか。
この言葉に聴くとき、わたしたちは男という、そして女という相手を本当に深く知り、深く愛することができるのです。