23歳のチワワがギネス・ワールド・レコードに認定されたとのニュースがありました。
ブランケットの上でくつろぐ写真が一緒に掲載されていましたが、飼い主の愛情をたくさん注がれて満足そうに座っている姿が印象的でした。
一方で、ペットブームの中で飼い主が見つからずに殺処分されるペットがたくさんいることに心が痛みます。
ペットと会話をしながら過ごしていると、飼い主のかなりの言葉を理解していることに気づきます。
そればかりではなく、飼い主の心が折れている時には、飼い主を見つめながらそばに寄り添っている姿を何度も目にします。
ペットは人間の心の悲しさや嬉しさを敏感に感じる生き物であることに改めて驚かされます。
聖書は神が天地を創造されたことを語っています。だから人間は言葉を用いて創造主である神と会話することができます。
祈りという形で神と会話をすることができるのです。同様に人間と生きものもまた、十二分な意思疎通ができたのだと思います。
しかし人間が神との約束に違反することによって、神の存在がわからなくなるという罪に落ちました。
この罪によって、人間と生きものの間の意志疎通も限定されたものになったのではないかと想像しています。
それにもかかわらず、ペットが人間の心を鋭く読むことができるということに驚かされるのです。
聖書はこのようなペットをはじめとする生きものについて語っています。
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることをわたしたちは知っています」(ローマの信徒への手紙8章22節)と。
もし人間がキリストという神を信じて、もう一度神のところに帰ることができるならば、人間も生きものも、創造されたもとの状態を回復し、
神をほめたたえながら、もっと自由な意思疎通ができるようになるのだと思います。
キリストを信じることは、その人の罪が赦されるだけではなく、神が創造されたすべての被造物が回復される、ダイナミックな出来事であることを覚えるものです。