「正義」という言葉を辞書で調べてみると、「人の道にかなって正しいこと」と書かれています。
また例として、「正義を貫く」「正義の味方」などが挙げられています。私たちの生きている日本の社会にも「正義」という言葉を当てはめることができます。
しかし、明らかに人の道にかなっていないことが、あたかも正義であるかのように、裁かれることもなく、何事もなかったかのように過ぎ去っていきます。
このような実例を挙げるならば切りがないほどです。そのような意味で私たちが生きている今の社会は、「正義」が大きく後退している社会なのでしょう。
状況によって「正義」の基準が変わってしまう社会なのでしょう。
聖書は語ります。「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。」(旧約聖書イザヤ書32章17節)と。
人間の正義は、時代や状況によって歪められてしまいます。それが今の日本の社会の、真の平和を失っている現状ではないかと思います。
しかし、聖書はその人間を創造された神がおられることを語り、正義とは神の正義であることを語ります。そして神の正義は、決して変わることのない正しさです。
神の命令に反した時には、神から厳しく叱責されます。なぜならば神の正義の基準は変わらないからです。
しかし、命令に反したことを素直に認めて神に打ち明けるならば、そこに無限の赦しと心の平和が与えられるのです。
真の意味で正義が失われている社会の中で、神の正義を信じて生き、その基準に従って生きるとき、様々な社会からの抵抗や脅迫があるかもしれませんが、
そのように生きるあなたを、神は必ず守り、上からの力で励まし、心の平和を与えてくださるのです。