ある高齢者施設では毎日朝食後、聖書の言葉が説教される集会が持たれています。
高齢のため、その施設から以前通っていた教会に行けなくなった多くの方々が、朝の集会に集っています。
賛美、聖書朗読、説教、主の祈りという短いプログラムですが、イエス・キリストが確かにそこにいてくださることを実感できる集会です。
私は説教者として奉仕していますが、集会後、多くの方々と言葉を交わすとき、静かな喜びを感じることができます。
以前両親の介護の件で、幾つかの高齢者施設を訪問したことがありますが、入居者が若いころに聞いた音楽がホールに大きな音で流れており、
各人が各様にそのメロディーに聞き入っていたことを思い出します。しかし、毎日聖書の言葉が説教され、人間を創造された神を賛美する集会には、
特別の落ち着きと平安があることを感じることができました。
人生の集大成を迎えておられる高齢者が住む、一つでも多くの高齢者施設で、聖書から神の言葉が語られるようになることを切に願っています。
もし今、落ち着きと平安を求めておられる高齢者施設があるならば、是非お近くのキリスト教会の牧師に声をかけていただきたいと思います。
平安の源である神が語りかける聖書の言葉です。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(旧約聖書詩編133編1節)