教会の両隣りに家が二軒新築されることになり工事が始まりましたが、その進行に伴い、教会の内部がとても暗くなってしまいました。まだ記憶に生々しく残っていますが、
7月13日の朝、いつものように2階の牧師室兼事務室に入った途端ビックリ!
部屋はもう明かりをつけなければ仕事ができない暗さになっていました。
それまでは自然の光で日中は特に照明をつける必要も無かったのです。
ですから、その変化にとても驚き、またとても憂鬱な気分にさせられました。
今はまだ建物の左側だけの問題ですが、そのうち右側の方も(右側は4階建てとなりますので)もっと深刻な変化を被ることになります。もう想像してみるだけでもイヤになります。
でも、そのうち時間が経つと、諦めも手伝って、この部屋の暗さにも慣れるようになって行くことでしょう。そして、これから初めて教会に来られる方は、初めから今の暗くなってしまった状態のことしか知らないわけですから、これが全く普通(通常のこと)として、何も気にならないことになります。
このようにして、同じ部屋(すなわち環境)の中にいると言いましても、初めのことを知っているか知っていないかで、その意識と理解の仕方はずい分と違ってくることになります。
さて、この明るい部屋から薄暗い部屋への変化というものは、
いみじくも聖書が語っている私たち人間の堕落の悲惨さを適切に説明してくれます。
アダムは、神の命令に背いて禁断の実を取って食べたその瞬間から、
神を恐れて身を隠すようになりました。それまでは全くそんなことはなかったのです。
明らかに心の中で大きな変化(光が遮られて暗くなるような)が生じました。
これは最初の人間(アダムとエバ)だけが知ったことですが、
それはとても悲しくて惨めな体験でした。
彼らは、堕落する前までは、罪が全くない無垢な心の状態にあったからです。
そして、その後の私たち人間は?と言いますと、初めから堕落した心の状態で存在しているわけですから、たとえ何かおかしいと感じることがあっても、その異常さ(暗さ)にほとんど気付かないことになります。
人間とは、また人生とはこんなものだと思い込み、また諦めるようにもなります。
しかし、かつては眩しいほどの明るくて清い心の状態があったのです。
人となって天から来られた方イエス・キリストご自身も、このことを明らかにされました。
そして、このキリストにもとに来るとき、人は心の中に“まことの光”をもつようにされるのです!!
「わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
ヨハネ8:12