教会にも様々な商品販売の案内や勧誘が来ますが、ある日のこと、入社したばかりの初々しい証券マンが国債の販売に訪ねてきました。
私たちの国では長い間超低金利時代が続いています。
そのために、いくらか金利がましな国債なども(国の財政を支える意味もあって)人気を集めていますが、魅力的なのは勿論もっともっと金利の高い商品です。
しかし、そのような商品は決まって元本保証なしのリスクが高く伴う商品です。ハイリターンにはやはりハイリスクがつきものです。
さて、この投資のたとえで聖書が私たちに勧めてくれている人生について言いますと、それは“ノーリスク(あるいはローリスク)・ハイリターン”の人生です。
と言うのは、まず私たちはだれでも自分の行い(稼ぎ)によらずただキリストを信じる信仰によって確実に救われるからです。不確定な要素はもはや何もありません。
神の存在と私たち人間への愛、真実、約束の確かさは、イエス・キリストによって明らかにされたからです。
もちろん信仰ゆえに被る様々な不利益は実際にあります。場合によっては迫害や殉教という試練もあります。その意味では信仰の人生はノーリスクではあり得ません。しかし、リターン(神からの恵みの報酬)は豊かに今の世においても、さらに来るべき世において確実に与えられます。
「わたしのためまた福音のために、・・・捨てた者はだれでも、今のこの世で、迫害も受けるが、家・兄弟・姉妹・母・子供・畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」(マルコ福音書10章29−30節)
たとえ失うものがあったとしても、それを補って余りあるものが実際に与えられるのです。そして各自の働きに応じたすばらしい報酬が、イエスの「タラントンのたとえ」や「ムナのたとえ」にもあるとおりに、来世に約束されています。
イエスさまは、「天に(自分自身のために)富を積みなさい」(マタイ6:20)とも言われました。私たちが例えば貯蓄をするという場合、それはやはり特に自分の老後のことを考えて今からその備えをするわけですが、その先、死後の永遠の世界が間違いなくあるのです。そのことをよくよく考えて、
今のときを賢く生きる必要があります。
目先の利益(ご利益)に惑わされず、「真の命を得るために、未来に備えて
自分のために堅固な基礎を築くように」(Tテモテ6:19)したいものですね。