日本は自然の変化に富んだ美しい国です。そこには四季折々の風景があります。
春は桜が咲き乱れ、夏は風鈴の音と蝉の鳴声が交差し、秋は紅葉が大地を覆い、
冬は真っ白な雪が凛とした空気を送ってくれます。
古来日本人は四季の美しさを愛で、心の豊かさを育んできました。
誰にも人それぞれの風景があり、それぞれの人生があります。
風景とは人生そのものかもしれません。
教会にも礼拝という「風景」があります。いったいどんな風景でしょうか。
ちょっと覗いてみましょう。
<礼拝に集う>
@ 定刻(10時30分)になるとそれぞれが席に着きオルガンの前奏と共に招きの言葉をもって礼拝が始まります。
A 礼拝に集うことが出来る感謝の祈りを、賛美歌とともに神に捧げます。
<信仰を確認する>
B 私たちの信仰を神の前に表明し、罪の告白、罪のゆるしを請い、内外の平和を祈ります。
<御言葉に聴く>
C 神の言葉である聖書の朗読を聴き、聖書の説き明かし(説教)を聞きます。
<主の恵みに感謝する>
D 神への感謝のしるしとして思い思いの額を献金として捧げます。(自由献金であり
強要ではありません)
E 聖書の精神(律法の要約)を唱和し、神への賛美の後、祝福の言葉を以って終了します。
一連の礼拝があたかも春夏秋冬のように流れて「礼拝のある風景」を映しだします。
その風景に身を置くことによって一枚の絵のように人生が豊かに流れていきます。
イエス・キリストは私たちの罪深い性質を根本から癒すために死に、復活し、罪をゆるし
今も生きて働き、あなたを慰め、いやしてくれます。心のノックを受け入れ、「礼拝の
ある風景」に参加してみませんか。